HIRA^O SAKI
From Wikipedia, the free encyclopedia
| HIRA^O SAKI | |
|---|---|
| 出身地 |
|
| ジャンル |
J-POP ポピュラーミュージック |
| 担当楽器 | キーボード |
| 活動期間 | 1992年- |
| レーベル | ポニーキャニオン |
| 共同作業者 | 清水信之 |
| 公式サイト |
hiramatsueri.com ozaki-amii.com kenjirosakiya.com |
| メンバー | 平松愛理、尾崎亜美、崎谷健次郎 |
| 著名使用楽器 | |
| キーボード | |
HIRA^O SAKI(ひらお さき)は、平松愛理、尾崎亜美、崎谷健次郎の3人のキーボーディスト・シンガーソングライターから成る清水信之プロデュースによるスペシャルユニットである。1992年に「My Best Friends」でデビューした[1]。
メンバーである平松愛理、尾崎亜美、崎谷健次郎は、ともに同じレコード会社であるポニーキャニオンに在籍していた。
当時、平松はデビューの翌年から組んできた編曲家の清水信之(後に結婚)との楽曲制作が軌道に乗り、シングル「部屋とYシャツと私」を80万枚近くセールスする大ヒットで結実させていた[2]。少し先輩の崎谷とは、コンサートにゲスト参加する交流があった[3]。 また、崎谷はプロデュースした谷村有美のシングル「ときめきをBelieve」をヒットさせていた[4]。プロデューサーとしても先輩である尾崎とは、かつてポニーキャニオンに所属していた上田浩恵のシングル[5]やアルバムに楽曲提供する間柄であった。尾崎は活動再開後のセルフカヴァーアルバムを発表する傍ら、「桃姫BAND」の"桃姫"として小原礼(後に結婚)らと共に新たな活動を展開していた[6]。 年末に第34回日本レコード大賞で作詞賞を受賞することになる平松に象徴されるように、活躍著しい3人のキーボーディストによるクリスマス・コンピレーション・アルバムが企画され、これを機に清水信之プロデュースによるスペシャルユニットを組むことになった[7]。
グループ名は3人の名前の最初の漢字一文字を採って繋いだ「平尾 崎(ひらお さき)」に由来[8]し、“個人名”の感覚ながら性別の印象を薄くするために、アルファベットで"HIRA^O SAKI"と名乗ることになった。 11月に清水信之プロデュースによる「My Best Friends」と題したシングル、アルバムを発表した。企画ユニットであったため、平松愛理の雑誌インタビューで若干紹介された以外、グループでの活動はスタジオでの録音以外は目立たなかった。
11月、崎谷健次郎の3rd.ベストアルバム『崎谷健次郎 BEST COLLECTION』に「My Best Friend」が「平松愛理・尾崎亜美・崎谷健次郎」名義で収録された[9]。
3月 - 6月、大阪・兵庫・東京での『青春のベスト・ヒット・コレクション 原田真二・尾崎亜美・平松愛理~シンガーソングライターの系譜~』コンサート・ツアーで、尾崎と平松が共演している[10]。